7か月ぶりに実家(埼玉)に帰省
親に
リアルでサラリーマンをやめること
伝えようと
梅雨空続く関東へ
母へ伝える
実家へ着くと母が出迎えてくれた
久々の母の手料理
肉じゃがが美味しそうに
湯気が立っていた
料理は小鉢などを含め7品
ありがたい
帰宅する途中
川越の地ビールを購入していた
小江戸ビールである
久々に乾杯
おしゃべりな母の話を聞きながら
お腹と心と安心感が満たされていく
肉じゃがのお皿が
にんじんひとかけらだけになったころ
母にサラリーマンやめること
これからやっていくことを伝えた
あらそう いいんじゃない
一言である
息子2人の母であるせいか
昔からさっぱりしている
男だけの母親はあまり息子のこと心配しないのよ
昔から周辺の人にそう言っていたもんだ
収入もあるから心配しないでね
と伝えた
お酒もおわるころ
母が唐突に
私は家族の中で一番わがまま
やりたいことは全てやってきた
今でも好きなことやってるのよ
70歳超えてもまだ現役バリバリで
よさこいを踊っている母
この日も昼間踊っていたらしい
暑かったせいもあって
少し酔いがまわってきたのかな
この言葉で母の伝えたいこと分かった氣がする
ありがとうございます
やはり
私はあなたの息子です
父へ伝える
父はすでに他界している
2016年3月
海外を行き来する仕事をしていることを話した時
立派になったな これで安心した
と優しく言ってくれたことを思い出す
2016年6月
父の誕生日会が最後に見た元氣な姿となり
1週間後急に倒れ
7月天国へと旅立った
67歳だった
実家着くとすぐに
父と祖父母の仏壇に挨拶をした
翌日山梨のお墓へ
父そして祖父母とご先祖様へ
サラリーマンをやめることを報告した
父は
今の自分を天国からどのように見ているのだろう…
ふと思う
人生にIf(もし)はないけれど
もし父が生きていたら
北海道への移住
サラリーマンをやめることについて
どう思っただろう
父は母を1番に心配するので反対されたかな
もしくは相変わらずだなと言い
好きにすればと言われたかもしれない
墓前で報告した後
1匹の蝶々がひらりと
僕の周りを飛んでいた
一言がんばれよ
と言われた氣がする
もう一度父の大好きなHawaiiに
連れて行ってあげられなかったこと
今でも残念に思う
あなたの息子は北の大地で楽しんでいますよ
安心してください
Mahalo
KWAK KWAH