公開当日(2023年7月14日)「君たちはどう生きるか」を鑑賞しました
鑑賞した直後は正直???でした
帰り道妻と振り返って話していくと
この映画深い!
と改めて感動しました
そして
この映画を鑑賞した後
家族・友達・恋人・仲間と
内容についてシェアをしてほしい
映画のタイトルのように
「どう生きるのか」
真剣に考えてほしいというメッセージのように感じました
私たち夫婦が感じた「君たちはどう生きるか」を解説します
あくまでも私たち夫婦が感じたことです
このあとネタバレも含みますので
まだ鑑賞していない人はこの先を読まないでくださいね
アオサギの存在
映画のポスターに描かれているアオサギ
なぜアオサギなのか
私たちの見解は言葉的に
アオサギは詐欺・いつわり・嘘の象徴ではないかと
劇中で
「アオサギが言うことは全部嘘」というセリフもある
今の世の中嘘だらけを象徴しているように感じた
アオサギの心も徐々に変化をしていく
主人公である眞人はアオサギを嘘つきであり
認めていなかったけれど
いつわりや詐欺・嘘が蔓延する世界でも
最終的に心を開いて「友だち」と認めたのは
眞人の”愛”がこの世で善と悪を一つに結べるものは
真実の愛のみである
最後のシーンでアオサギが
「じゃあな友だち」と言えたのも
真の愛がアオサギの心を変えたことによるものである
母 ヒミの名前の意味
ヒミは
火と水を
表していると思う
ひみ=火水(かみ)
そう神を表していると考察する
自然界の火と水は4エレメント(4元素)に含まれる
火は時に人を助け人を殺める
水もまた同じ
人間には及ばない神の力
映画では
病院の火事により命を落とす眞人の母
少女時代の母は火を扱いワラワラなどを助ける
異世界にある閉ざされた門の墓の意味
封印されている決して表には出してはいけない真実のこと
門には「ワレヲ学ブ者ハ死スル」と記されていた
この意味は
本当の真実を追求していく者には死が待っている
偽りの世界では真実を表に出すことはタブーであり
多くのことは隠されているのが現実である
この地球も正しいことや真実が多く隠されており
今もなおその扉は固く閉じられている
本当のことを知ってはいけない
追求をしてはいけない
見て見ぬふりをする
「真実を追求するものは死する」
映画では若きキリコさんが
火から出た煙で丸く結界を張って
墓の主をおさめていたが
まさに
煙に巻いてあやふやにした
という意味ともとらえることができる
なぜ異世界の住人は殺生できないのか
命が生まれ還ってゆくあの世は殺生は厳禁
誰かの命をいただくことでしか生きられない
人間のみが行う行為であり
タブーである
釣り上げた魚の内臓がワラワラを育てるために必要な理由
誰かの命をいただくことでしか生きられない人間。そしてその魂もまた然り
魚の内臓(肉体を構成する上で必要な内臓)をいただいて肉体としての人間へと
生まれ変わっていく工程を表しているのではないだろうか
殺人インコがいっぱいいた理由
これはズバリ「鳥(養鶏)たちの逆襲」を描いたのでは?
鳥たちをあえてニワトリではなく可愛いらしいインコに置き換え
建物の中にぎっしりせめぎ合って暮らす姿は人間が閉じ込めている養鶏場の鶏舎のよう
そこでナイフとフォークを持って人間を待っている鳥たちの無表情で感情も見せない姿は不氣味である
人は、鳥として生きる命の尊厳を無視し、簡単に殺している姿と重なった
捕らえられた母ヒミを大叔父のところまで運んだ2匹のインコが泣いた理由
2匹のインコがヒミを運びながら大叔父の美しい大自然の世界に入った瞬間
「美しい!何てここは美しいんだ‼」
というようなセリフを言いながら涙を流して感動していた
本来鳥たちは大自然の中で自由に飛び回り
人と同じように彼らの人生を楽しむ権利があるのではないだろうか
ペリカンがワラワラを食べる理由
悪意としてこの世に生まれ
その悪意によって人々の良心を目覚めさせる役目としての存在
映画では
「我々はワラワラを食べるためにこの島に連れてこられた」というセリフがある
ペリカンは自分たちの意志でワラワラを食べているのではなく
彼らが生きるための食糧は海には少なく
ワラワラを食べなければ生きていけない
命を持って生まれてきたものはそれぞれお役目がある
そこには善も悪もない
眞人はなぜ自分で傷をつけたのか
最後のシーンで眞人は自分の付けた傷を指して「これは自分でつけた偽りの傷です」と言った
敢えていじめられた事を隠し
自分で転んでついた傷だと言っていた眞人
現代社会のいじめによって
自らの命を絶っていく若者の姿をダブらせる
本当に悪いのは自分ではなく他人なのに
それを言えず
自らを責めて傷つけてゆく姿
しかし若いころのキリコこのように
同じく傷を負いながらも仕返しをした(食ってやった)強い人もいる
眞人を守っていた老婆の人形たち
古き良き時代の日本、そしてすっかり大和魂が忘れ去られてしまった近年
真実を胸に正しい知識を持って今の若者たちを支えているのは多くの「年配者たち」かも知れない
若者たちのこれからの未来を守っている象徴として7人の老婆たちが描かれていたのかもしれません
積み木の意味
「積み木」
この映画の最重要ポイント!
いつ倒れてもおかしくない頼りない積み木
そしてそれは全て「偽り」の形として積みあがっている
補強のブロックももはや長くは持たず世界の終焉も近い
大叔父は眞人に人類を守るために後継者として任命するが
眞人は断る
世界を守り
積み上げてゆくのは本来はこの現実世界に住んでいる人々の仕事である
この先いつまでも目に見えない存在に頼って守ってもらう事もまた
「偽りの行為」だと
眞人は分かっていたのかも知れない
最後に塔の扉を開けてこの現世界へ戻ってきた眞人
でも塔でのことを忘れてはいなかった
アオサギは眞人のポケットに入っていた石を見て
「それを持ってきたからだな」
と言った
「石」は「意志」を表す
眞人が最後に大叔父と約束した固い決意を石で表現していたように思える
異世界で度々出てきた石
(閉められた墓の巨石・大地に転がっている多くの石の破片・大叔父が全てを作り出したという空中に浮かぶ大きな石など)
全ての始まりは無限の力を持つ生きた人間の「意志」から始まるのかも知れない
今こそ偽りで重ねられてきたこの世界に氣付き
一人ひとりが自分の中にある「真実」と向き合い
残された時間を揺らぐ事ない自分自身の「軸」に沿ってゆく生き方をする時なのかも知れません
人が生み出す事ができる無限の創造力は、きっとこの先の世界を変えてゆけるに違いない!
と思いました
映画を見終わった今
宮崎駿監督が全人類へ投げかけた問い
「君たちはどう生きるか」
その答えを私たちなりに捉えられたかな?と思います
あくまでも私たち夫婦の見解です
みなさんはこの映画をどう感じたでしょうか
答えは一つではないと思います
Mahalo
KWAK KWAH