私たちのものがたり

夢は見るもの?
夢は追いかけるもの?
夢は実現するもの?

旅のはじまり~団地暮らし~

2000年に出会った
たっきー&ちび太

2002年に結婚したふたり

出会った当時
“たっきー”は
東京でサラリーマン

“ちび太”は
科学を通じて色んなことを学べる某施設の
インストラクターのお姉さん

住まいは東京都西東京市
自然環境は素晴らしいけれど
庭も畑もない団地暮らし

平日は仕事
休日は車でショッピングセンターでお買い物

消費バリバリの
農業とは遠い暮らしをしていたのでした

本からのメッセージ

ある日
ちび太は職場で運命的な本と出会いました

その本は

「買ってはいけない」

読みはじめたら止まりません
一氣に読み終えると

静かに本を閉じ

「やばい!これはやばい!
 世の中を知らなすぎていた!」
「こんな裏があるとは。。。」

その日のうちに

無農薬の野菜を求めて
色んな店へ探しまくるちび太

「無農薬の野菜まったく売ってない・・・」
「どこにあるの・・・」

当時は無農薬野菜を
取り扱っているお店の情報は少なく
悩ましい日々が続くのでした

引っ越し

それから3年の月日が流れました

「有機野菜」と書かれたお野菜を
少しずつ見かけるようになり

添加物にも氣を付けながら
安心安全な食品を購入するようにしていました

この頃はまだ
『有機』と書いてあれば
安心だと思い込んでいましたが・・・


住んでいた団地は築50年を超えており
建て直し工事が始まることとなります

これを機に
埼玉県に中古マンションを購入

駅近ではありましたが
当然、庭も畑もないマンション暮らし

まだ農業とは遠い暮らし

でもこの頃から
一生東京近郊にはいないだろうと
漠然と思っていたのでした

人参との出会い

マンションを購入した街には
自然食品界では有名なお店が徒歩圏内にあり
ここでは無農薬のお野菜や無添加の調味料など品揃えが充実

またこの街では

「自然栽培農家御三家」

と呼ばれる
自然栽培農家の間では有名な方々が
農業を営んでいました

そのうちの一人の方とご縁をいただき
人生初めて

無肥料無農薬栽培の人参

を食べました

「なんじゃこりゃ!?」(松田優作風)

生で食べた人参の美味しさは衝撃でした

「めちゃめちゃ人参!!」
(とても人参の味がすると言いたかった)

「それにめちゃくちゃ甘い!」
(人口的な甘さではなく自然な甘さで舌が心地よい)

「うまい!!!」(うますぎる)

肥料がなくても美味しい野菜が育つ
雑草は敵ではない

今までの考えがガラリと変わった!
そんな衝撃でした

この出会いをきっかけに
月に2回お野菜の配達をしてもらい
時々援農にも行くようになります

美味しいお野菜
ドレッシングがいらないお野菜
とても幸せ

それでもまだまだ消費者側
お野菜は買うもの。。。でした

宇宙からのメッセージ

ある日
ちび太のもとにメッセージが降りてきます
(時々ちび太にはメッセージが降りてきます)

「なに!? ぬおーーーーっ!」

布団から飛び上がり
寝室を飛び出すちび太

バン!!

勢いよくリビングルームのドアを強く開けると
たっきーに向かってこう叫びます

「自分たちで野菜を育てなければならない
 時代がやってくる!!!」

「早く野菜を栽培する
 技術を学ばなくては!!!」

「フガフガ!!」

そう告げるちび太の鼻息は荒い
2009年のことです 

それから
取り憑かれたように
無農薬栽培を教えてくれる
農家さんや学校を調べ始めるちび太

そして
山梨県山梨市でぶどうを栽培する農家さんに
辿り着いたのです

農業やるの??

極力農薬を使用せず
土の力でぶどうを栽培している農家さん

月に2回週末に行われる
田舎暮らしを学ぶ
農業スクールを開校したばかりでありました

「第3期の説明会があるから申し込むよ」

相変わらず鼻息の荒いちび太

「えー申し込むの?面倒くさいなあ」
「山梨でしょ?
 週末は中央高速めっさ渋滞するしー疲れそう」

たっきーはあまり乗り氣ではない。。。

「美味しい無農薬野菜買えてるし~
 わざわざ農業しなくても・・・」

ブツブツ言うたっきー

「いいから行くの!!」
「説明会聞いてから決めればいいでしょ!!」

鼻息の荒いちび太

有無も言わさず説明会へと行くこととなる

農業スクールの説明会

説明会は東京で開催された

会場には30名を超える人たちが集まっている
たっきーとちび太は前列に座り
農業スクールの代表と
当時スクールに通う2期生の説明を聞いていた

今思うと
代表のプレゼン力が高かったと思うが
彼らの話に引き込まれ
ワクワクしている自分に氣付くたっきー

山梨で農業をする姿がはっきりと見えた

「ここに行きたい!」

説明会の途中から行くと決めていた

説明会の前後では
氣分がまったく違っていた
心がガラリと変わった

帰り道
ビルの明かりがイルミネーションに見えた

仲間との出会い

たっきーとちび太は農業スクール3期生となり
月に2回埼玉から山梨まで通いはじめる

2010年3月から2011年3月までの1年間コース

この先ここで出会った仲間と
農業をやっていくことになるとは・・・

山梨に行くことはとても楽しくて楽しくて
畑から見える富士山は大きく
心癒されるロケーション

中央高速の渋滞が30キロ以上
超える日もあったが
全く苦にならない

野菜ちゃんたちの成長が氣になって
月2回以上通う月がほとんど

自分たちで種から育てた野菜たちが
立派に育ち
それを食べる喜びは格別

畑を耕す
種をまく
苗を育てる
田植えをする
小屋を作る
道具を作る
鶏の命を頂く
稲を刈る

今までの生活では味わえない
非日常がそこにはあった

まさに
プライスレス

そして
ここで出会った仲間が本当に最幸

60代から20代までが共に学ぶ
ある意味栽培技術を学ぶというよりは
みんなに会いにいく!

そんな日々だったのかもしれない

楽しい充実した日々は
あっという間に過ぎていく

2011年3月12日土曜日がスクール卒業日
みんなと通った1年間
楽しかった1年間

そんな日々が
終わりを迎えようとしていた
そんな時

全く予想もしなかった
あの日がやってきた

2011年3月11日金曜日14時46分18秒

2011年3月11日14時46分18秒

たっきーは新宿にある本社ビルで勤務中
ちび太は埼玉の自宅マンションにいる時

あの地震は発生しました

首都圏の交通網はマヒ
電車はほとんど動かず
道路は渋滞
電話もメールも通じず

災害時の首都圏の弱さを思い知りました

その後も
水不足・生活物資の不足・ガソリン不足
そして放射能汚染。。。

放射能汚染が分かった直後
ちび太は北海道の実家へ帰省
たっきーはそのまま埼玉に残る

必死で北海道へ向かうちび太
実家のドアを開け
出迎えてくれた両親の

「おかえり」

という言葉で
涙があふれ出してきたのです

この涙は
まるで災害がなかったような
平穏な日常に帰ってこれた
『安心感』

埼玉に残してきた
たっきーとたっきー家族への
『罪悪感』

今後日本がどうなってしまうのかという
『恐怖心』

が複雑に入り混じっていました


「首都圏はこの先住むところではない」

そう強く思ったのでした

一方埼玉に残ったたっきー
震災から2週間後
山梨へと向かいます

首都圏ではガソリン不足が続いているが
山梨の田舎では
ガソリンを給油することが出来る

農家さんは自分で育てた野菜があるから
食糧難には困らない

「田舎の強さ」をマジマジと感じました

「自分たちの食べるものは自分で育てる」

この思いは強くなっていくのであった

農業コミュニティーの誕生

農業スクールで出会った仲間たちと週末
埼玉県加須市に週末集うようになりました

農業コミュニティー

「弥兵衛」

の誕生です

畑5反・田んぼ5反で
お米や大豆、野菜、真菰などを育て
※1反は正方形で考えると1辺が約31メートル
5反はその5倍

道の駅で販売したり
田植え・稲刈り、味噌作りのイベントなどを
開催していました

加須市は自宅から車で1時間超の距離
ほとんど毎週末は通っていたので
ライフワークの一部となっていたのでした

ギャップ

「弥兵衛」をはじめた当時ご近所から

「怪しい団体がやってきた」

と思われ
外のライトを割られたり
水道の蛇口のハンドルを盗まれたりと
嫌がらせを受けることもしばしば

日本の農業は保守的
人と違うことをすると

「出る杭は打たれる」

農家の高齢化が深刻で
農家の後継者不足が続いていると
言われている一方

「農業をやりたい!」

と思う者にとってはやりづらい一面があり
何か矛盾しているとモヤモヤする日々

でもね

ある程度認められる時は来るもので

挨拶したり、話しかけたり、
一緒にお酒飲んだりすることで
心が打ち解けて
少しずつ受け入れてくれるようになるもの

「農薬なしで肥料なしで野菜は育たん!」

というところは分かり合えなくても
敵対心を持たなければ認め合えるもの

対立しても意味がない
笑顔が大切

一方で
無肥料無農薬栽培の大変さは
身に染みて分かりました

土の力が大切と思い思考錯誤しながら
あれこれ色んな農法を試す

収量は少なく野菜も小さく
悩む日々が数年続くのでした

移住の地を求めて

埼玉で仲間と農業を楽しむ週末

平日、たっきーは
サラリーマンとして
海外の仕事にも携わるようになり
仕事も楽しくなっている

仕事もプライベートも充実
給料はそこそこもらえており
生活も安定している

当時の生活に満足していたのだろう
移住への思いが少し薄れていた

現状に満足していたので
環境を変えることをためらっていたのだと思う
無理に動かなくても・・・と

しかし

ちび太は早く東京近郊から
離れたい氣持ちがいっぱい
日々充実しているものの

「これでいいのか」

とあいかわらず悶々する日々

そんなある年
自然農を学びに
再び山梨へ通う日々が続きます

山梨へ移住した人たちとの
交流もふえていきます

自然に触れ
美しい富士山を目の前にすると
ワクワクする一方

2011年3月11日の出来事で感じた

『田舎の強さ』と『恐怖』

が頭をよぎりました

「やはり移住しよう!」

それから春夏秋冬山梨へ年に何度も何度も通い
色んな物件を見にいきます

契約書に印鑑を押す寸前の
物件もありました

しかし

これだ!という物件は見つからず。。。

山梨の物件探しも
4年もの月日が過ぎ去ります

たっきぃ

山梨に呼ばれていないのか???

山梨には友だちや親戚、仲間も多くいるので
住みやすい環境ではあったのだが・・・

途方にくれます

「さてどこに移住するのだろう・・・」

それからも
山梨県内で移住先を探しつつも
沖縄・千葉・長野・埼玉の山奥などなど
迷走中

そんな時
ちび太の姪っ子から

「将来二人は北海道に来るよ」

と軽い感じで言っていましたが
今思えばあれは
『預言』だったのかもしれません

たっきーとちび太にとっては
とても重要な言葉であり
お互いはじめて

北海道

というキーワードを意識するのです
ちび太の実家のある北海道を

北海道との縁

「北海道に移住する!」

2019年元旦
たっきーとちび太は宣言しました

北海道でもいくつか候補地を決め
北海道IターンUターンフェアなどにも参加

ちび太の条件は

「広い庭があること」
「両親の家から近い札幌近郊」

北海道の一軒家であれば
広い庭付が当たり前だろうと思っていました

しかし

調べてみると札幌近郊は
広い庭付きの物件は
ほとんどないという事実を知る

それでも

「行動すれば情報は向こうからやってくる」

と根拠のない自信があったのでした

それからすぐに「SUMO」のサイトで
とある中古物件を見つけます

2019年1月中旬のことです

たまたまその物件はちび太の実家から
割と近いところにあり
まずはちび太の両親に内覧してもらいました

1月下旬のことです

そこで衝撃的な事実が!?

両親が物件につくとそこには

「生け花教室」

の看板が掲げられておりました

「おや?」と思うちび太母

ちび太母のお父さん(ちび太の祖父)は
生け花の先生だったのです

そして話をしていくうちに
売主の奥様は
ちび太のおじいちゃんから
生け花を習っていた
生徒さんだったのです!

なんというご縁・・・

さらにご縁は続きます

たっきーは当時、海外事業部に所属
売主の息子さんも東京にある会社で
海外関連の部署に所属しており
お互いの会社が取引関係にあったのです

その後
二人はシンガポールで新しい商談を行い
新たな取引が成立するという
これまたご縁が起きたのです

世間は狭いのか
何かの縁なのか
不思議なものです

話は戻ります

ちび太両親が内覧に行った翌月の2月下旬
物件を内覧するため
たっきーとちび太は北海道へ飛びます

2月下旬の北海道はまだまだ雪が多い季節
ちび太が一番重要視している

「庭」は

広さは十分あるが
まだ1メートル以上雪が積もっている

「庭を見てから決めたい」

と言うちび太

4月上旬再びちび太のみ北海道へ

まだ完全に雪は解けておらず
庭の全体像は分からない

とても悩むちび太

でも感覚ではここが良いと決めている

「感覚で決めて良いのかしら。。。」

さらに悩むちび太・・・

そこでたっきーに相談してみるとことに

ちび太

ここに決めたいと思うんだけど

たっきぃ

いいんじゃない

の一言

感覚で生きる夫婦である

「おいおい、それで良いのか??」
という声も聞こえてきそうである・・・

無事に契約が進み
5月下旬に物件の引き渡しとなった

仕事はどうするのか?
いつ移住するのか?
将来のことを決めず

なんと
住む家だけ先に決まってしまいました

北海道での生活

2020年2月28日
日本で初めて北海道が
新型コロナウイルスによる

「緊急事態」

を宣言しました

翌日2月29日
私たちは北海道へ移住しました

到着した新千歳空港は
緊急事態宣言もあり
重々しい雰囲氣

ほとんど人はいない・・・

ちび太

まるで歓迎されていないみたい(苦笑)

たっきぃ

「たっきー&ちび太が北海道にやってきましたよー」


ついつい声を出してしまったのさ


荷物はJR貨物で届くため
5日後にやってくる

雪がまだ積もっており
がらんとした家の中
新生活が始まりました

北海道生活はとても新鮮で
楽しく刺激的なことばかり

美味しい食べ物
豊かな自然
たくさんの不思議な人たちとのご縁

ゆっくりと自分たちで内装をリフォームしたり
庭をバタフライガーデンや畑にしたり
充実した日々を送っている

しかし心は満たされていなかったのです
何かが引っかかっているそんな日々

運命的な出会い

移住してから1年後
北海道で出会った仲間を通じて
とある農家さんと出会いました

ちゃきちゃきな旦那さんと
不思議な奥さん

このご夫婦のもとには
色んな不思議な人たちが集まる

不思議とどんどん集まる


『無農薬』とか『Organic』という言葉が
ほとんど知られていなかった20年以上前から

無農薬栽培に取り組んできたご夫婦

周りからバカにされても自分たちの考えを変えない

宇宙とか妖精とか
不思議な会話が飛び交う
不思議な夫婦

でもその魅力に取り憑かれたくさんの人々がやってくる

そして私たちも

大丈夫

ある日奥さんに

「なんでいつも笑顔なのですか?」

と尋ねると

「えっ?毎日笑わないの?」
「毎日楽しいじゃん!」
「いつも笑顔なのが当たり前でしょ」
「みんな毎日笑わないの?」

と不思議そうに尋ね返してきた

意表を突かれた

今の世の中
1日中笑わない人の方が多いかもしれない

またお金への不安について
相談をしてみた

「お金がなくても ”ある” と本氣で思えば
 お金なんていつもなんとかなるもんだよ!」

心が軽くなった


このご夫婦のもとで農業を学びたい

超ポジティブな毎日を楽しく暮らすご夫婦のそばで
何かを感じたい

心は決まった
覚悟を決めた

農業研修期間は収入がない
住宅ローンはたっぷり残っている

でも

大丈夫!

だと思った

2023年6月末日
24年間の
サラリーマン生活を卒業し

約2年間の
農業研修がスタートしました

コタロハファーム(Kotaloha Farm)

私たちの農園名は
以前から決めていました

たっきーの学生時代のあだ名
『コタ(Kota)』と

ハワイ語の
『アロハ(Aloha)』を合わせて

コタロハファーム(Kotaloha Farm)

と名付けました

アロハ(Aloha)にはたくさんの意味があります

愛、愛情、愛着、思いやり、慈悲、寛容、哀れみ、情け、同情、共感、不憫、親切、感情、好意、慈善、挨拶、敬意を持つ、恋人、愛人、愛する人、最愛の、誠実な、親切な、哀れみ深い、寛大な、愛らしい、大好き、尊敬する、あがめる、こんにちは、さようなら、別れの挨拶、など

またハワイ州法の中には
ALOHAの5つのアルファベットが表す
それぞれの価値観について記載があります

A    akahai       思いやり 優しさ     優しさを持って感じ考える
L     lōkahi        調和 ハーモニー     調和の中にしっかりと立つ
O    ʻoluʻolu     心地よさ                   感情と共に思考のバランスをとる
H    haʻahaʻa   謙虚さ                        謙虚さを示し謙虚である
A     ahonui      忍耐強さ                    自立を学ぶ忍耐強さを持つ

そしてAloha(アロハ)という言葉は

Alo(シェアリング) 
oha(喜ばしい) 
hā(人生)

の3つの言葉が合わさって
「喜ばしい人生の共存」
という意味にもなるようです

「コタ」と言われた学生時代から
今までの人生
多くの人たちと出会い、笑い、泣き、
助けられ、励まし合い、時にはけんかして
全ての出来事が感謝でいっぱい

そんな一言では言い表せない感情や思いが

アロハ(Aloha)

で表現されていると思っています

これらの想いをのせて
コタロハファームは誕生したのでした

夢は
見るもの?
追いかけるもの?
実現するもの?

「そのままでいい 100万いいね! を集めた176の言葉」田口 久人 (著)より

内気なくせに本氣でヒーローになりたかった少年時代
女性と話すことが苦手な10代
すぐに行動が出来なかった過去の自分
周りはすごい人ばかりで自分には才能がないと思っていた数年前
夢をかなえることは難しいと思っていた

夢を遠い存在と思うのか
近い存在と思うのか

これだけの違いだということにやっと氣付いた今

『思いは実現する』

Bon voyage!~夢への旅路~

私たちはまだ旅の途中

百姓になって

マルシェでたくさんの人たちと知り合って
畑にたくさんの人が集まって
畑でたくさん遊んで
みんな笑顔になって

野菜のジェラード販売して
大好きなさつま芋とじゃがいもの商品開発して
マコモの商品販売して

猫ちゃんたちが
畑で走り回る

そんなワクワクする
旅が今から始まります

夢は必ず実現する
そう確信しています


とても楽しみです

ここまでお読み頂きありがとうございます
私たちのこれからの旅も見守ってください

ご縁があれば一緒に楽しんでください


たっきー&ちび太 with 猫ちゃんたち